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【世界教育の最前線】1人1人に合わせる教育方法「パーソナライズド・ラーニング」がいま話題?

教育

今年はiNacol(https://www.inacol.org/)という団体の運営する国際学会のプログラム委員を務めることになりました。学会発表のために提出されたプレゼンテーションの案は多岐の教育分野に渡り、新鮮な刺激を受けています。

NacolはアメリカのNPOで教育改革や革新的な教育関連制度の推進を目的として、アメリカを発信地として世界の教育に幅広くメッセージを送ってきました。

iNacolのミッションの一つはパーソナライズド・ラーニング(Personalized Learning)の推進です。

この考え方は欧米各国でメジャーな教育トレンドの一部になりつつあります。今回はパーソナライズド・ラーニングの基礎的な考え方を紹介していこうと思います。

なぜ「パーソナライズド・ラーニング」が教育のトレンドになってきたのか?

まずは、パーソナライズド・ラーニングが教育のトレンドになってきた背景について考えてみたいと思います。

私たちの慣れ親しんだ学校での自然な授業風景を思い浮かべてみてください。教室があって、その教室にクラスメートが何人もいて、教師が教壇に立って、授業を行う。

クラスにいる複数の生徒が、同じ教科書を使って、同じ課題に取り組む。人によって様々な違いはあると思いますが、多くの私たちにのって、そうした授業風景は馴染みのあるものなのではないでしょうか。

そうしたごく普通の授業風景の一つの前提として考察できるのは、複数の生徒がおおむね平等な学習条件を与えられるということです。

同じ教師による同じ教材に関する同じ講義を同時に聞いて、同じ課題に取り組む。そうした教育デザインに基づいて、学校や教師はできるだけそれぞれの生徒に気を配り、ニーズにあった学習を進めるための努力をしていく。

こうした教育方法の背景には、公教育や義務教育などの基礎である教育機会の平等という考え方があります。教育や学習は、人間と社会の礎であり、人々に平等な機会として享受されなければならい。それを実現する一つの方法として、学習条件の平等を中心に据えて教育をデザインしていく、というわけです。

しかし、生徒はそれぞれ違う個人であり、境遇も違えば、能力、学力、モチベーションなどもそれぞれです。生徒の間で様々な違いがあるのに、同様の学習条件を提供することが、教育機会の平等をもたらすかどうかを問うてみる必要があります。

ある生徒にとって効果的な学習環境でも、他の生徒にとっては進度が早すぎて思うように学んでいくことができないかもしれません。同一の学習環境の中で、それぞれ多様な生徒たちが、一人一人にあった、平等な学習の機会を得ていると言えるでしょうか。

ある生徒は適度に学び、他の生徒は全く学べない。そうであるならば、同じ学習条件が与えられていても、良い学びができる機会を得るという観点からは、不平等であるといわざるを得ません。

異なる生徒のニーズに同様の条件を当てがうだけでは、かえって不公平な学習環境を生み出してしまいかねないのです。このような学習条件の平等が生み出す学習機会の不公平は、特に、数十人以上で構成される中型、大型のクラスを前提とする公教育の根本的な問題として指摘されてきました。

パーソナライズド・ラーニングの根本をさぐる

そうした近現代公教育が孕む問題を理解した上で、個々の生徒の能力や進度に合わせた学習環境を提供していくことに焦点を向き直していこうというのが、パーソナライズド・ラーニングの考え方の根本にあります。

直訳すれば個人化学習ということになりますが、この考え方自体が目新しいものであるというわけではありません。

これまでの公教育の中で同一の学習条件を前提としたクラス環境の中でも、 個々の生徒のニーズに気を配り、それぞれの生徒にあった学習をどれだけ可能にしていけるかということが、学校の教師のひとつの腕の見せどころになってきました。

また、そうした公教育の現場から離れたところでも、家庭教師や個別指導塾など、一対一、もしくはそれに近い環境で、教師が生徒の学習に合わせて、カリキュラムや進度を調整するというやり方は、近現代以前の富裕層や、現代の教育産業などでもしばしば見かける教育、学習モデルです。

しかし、そうした伝統的な個人化の方法は様々な限定要素を伴います。例えば、 複数の生徒たちを受け持つ環境でも適切な個人化をすることができる優秀な教師を揃えたり、 一対一の教育環境を整備するにはコストが高くつきます。

公教育の限られたリソースでは全ての生徒のために実現することは困難であるかもしれません。また、そうした個人化の教育環境を運良く整えることができても、人間が可能にする学習の個人化には特有の限界があります。

まず、一人の人間が気を配ることのできる生徒の人数には限りがあります。また、教師について得手不得手もあり、サポートしやすい生徒のニーズの範囲も違ってきます。加えて、人間が学習の個人化をする場合、主観性も少なからず影響してしまうかもしれません。

そうした人間ができる個人化の限界をテクノロジーで取り除き、公教育の経済的現実の範囲内で、 ベストな学習の個人化を進めていくというのが最近のパーソナライズド・ラーニングの潮流です。

個別に合わせたカリキュラムはどのようにして組まれるのか?

現在のパーソナライズド・ラーニング環境では、生徒はコンピューター教材ソフトによって、学習を進めていきます。

コンピューター教材が生徒の学習進度を分析、判断し、カリキュラムを調整していきます。「あなたは、この課題にこのレベルの回答で、このような間違いをした。

ゆえにあなたは、次にこの教材を見て、この課題をやってみてください。」「そちらのあなたは、非常に素晴らしい回答なので、大方の教材をスキップして、大学レベルのこの教材のこの部分を見てみるように。」イメージとしては、こんな感じの指示を生徒に与え、生徒が学習していくという形になります。

また、生徒自身が学習題材や進路を決定して、自分の目標や、興味に応じて個人化カリキュラムで学習を進めていくことも可能です。

教師は生徒がそうした教材で学習を進めていくためのサポートの側に回り、生徒が質問があるときに手助けしたり、学習進度や進路のアドバイスをしていきます。

従来のような授業を行ったり、課題を作ったりする役目は担っていく必要がなくなります。

もちろん、このようなパーソナライズド・ラーニングの環境だけで、教育が完結しうるというふうに考えている教育者や教育機関は多くありません。

高度に個人化された学習環境は、生徒が教師や、他の生徒と触れ合う機会に乏しく、教科や教材から学べること以上の学習経験を得ることが難しくなってしまします。

例えば、他の人々とうまくコミュニケーションしていくスキルや、互いに協力して一つプロジェクトを遂行していく力等、他の生徒や教師とのインタラクションがあって初めて身につけていくことができる社会的なスキルが多くあります。

また、最近では、他の生徒と共に学んで行くこと自体が、学習効率の向上につながるという脳科学的根拠も指摘されています。

さらに、教師や他の生徒から、叱咤激励、何らかの刺激を受けてすすんでいくことが、学習には大変重要です。誰しもひとりで学習していくのではなく、様々な人々からインスピレーションを得たり、モチベーションを維持しながら学習を進めていくものです。

こうした点において、公教育の伝統的な方法にも、もちろん、大きな利点があるということを忘れてはいけません。

パーソナライズド・ラーニングの利点と、伝統的な公教育の利点の最適な融合とは何か。先端教育技術を現行の教育方法、教育現場にスムーズに導入していくためにはどうしていけば良いのか。

それぞれの教育機関、関連団体が様々な新しい実践、戦略を立て、次の時代の教育を模索しています。

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