「思いやり」が嫌われる理由
去年出版した著書「スタンフォード式生き抜く力」は、利他的マインドの大切さや、関連した実用的なスキルをまとめた本で、おかげさまでロングセラーをいただいております。
「生き抜く力」の中心となるのが「思いやり」の力です。もともと企画も「思いやりマインドセット」という仮題を提出していたくらいです。
「生き抜く力」では「人を思いやる力」に関連したコンセプトを世界の思想史から、いくつか取り上げています。
武士道の「慈愛」、儒教の「仁」、ローマ教皇の「共感力」、もしくは、「エンパシー」、それからダライ・ラマが英語で使っていた言葉は「コンパッション」(compassion)。
もちろん、これ以外にも、思いやり関連のコンセプトはいくつもあります。
今回は、思いやりやその関連コンセプトについてより深く機会を得るために、現代社会でしばしば目にする思いやりに関連したコンセプトを、徹底解剖していこうかと思います。
「気配り」と「気遣い」
どちらにも、物事がうまくいくように考えたり、そのように考えて行動する、と言うような意味になると思います。
一方で、「思いやり」の対象は物事一般というよりも、主に人である場合が多いようです。「イベントの進行に気を配る」ということはできても、「イベントの進行を思いやる」は、それほどしっくりこないのもそのためです。
それでは、「親切」とか「優しさ」はどうでしょうか。
どちらも、相手のことを思って、相手のためになることをしたいと思ったり、実際にするという意味があります。
つまり、「思いやり」という言葉の意味と重なる部分があります。
しかし、相手の気持ちや状況を積極的に考えようとしなくても、親切だったり、優しかったりすることはできます。
例えば、通りすがりの人がポロリと何かを落とした時に拾ってあげたり、後ろの人のためにドアをさっと開けてあげたりすることは、あまり相手の状況や内面を考えなくても、ほぼ無意識にできる簡単な行動だったりするかもしれませんね。
それでも、それはちょっとした親切やちょっとした優しさとみなされるわけです。「思いやり」というと、もうちょっと相手の立場になって考えてみるというような意味合いがより濃くなります。
次に横文字のコンセプトも見ていきましょう。「シンパシー」(sympathy)というカタカナ表記を見かけるのはそんなに珍しくはないように感じます。最近では、「エンパシー」(empathy)というのも見かけたことがある方も少なくないのではないでしょうか。
どちらも「共感」とか「同感」とか訳されたりして、実際に英語でも意味の差なく使われることが多くあります。しかし、語源も違い、厳密には違う意味の言葉です。
「シンパシー」は、「かわいそうだな」とか、「悲しいだろうな」とか、相手の状況を想像して、相手をいたわる気持ちのことです。同じ痛みや悲しみを共有しているわけではないけれど、相手の気持ちが理解できる、というような意味です。
それとは対象的に、「エンパシー」は相手の痛みや気持ちにより近づいている心理状況です。相手と同じような悲しみを感じたり、憤りを覚えたり、するようなことをエンパシーと言います。「あんたの彼氏の話を聞いてたら、私も腹たってきた。」など、似たようなセリフは想像に難くないですね。
また、みんなが笑っている部屋に入って行ったら、みんなが何を笑っているかわからないけども、なぜか笑えてきた、なんていう経験もあるかもしれませんね。それがエンパシーです。
シンパシーは気持ちを想像できる、エンパシーは気持ちを共有しているというようなイメージです。
あともう一つ、「コンパッション」(compassion)というのがあります。これはあまり日本語では見ない気がします。
和訳では、「同情」とか、時には「思いやり」と訳されることもあります。
実際、「生き抜く力」でスタンフォードの「思いやりセンター」と呼んできた機関の正式名称は「Center for Compassion and Altruism Research and Education」で、「Compassion」という言葉が使われています。
「コンパッション」は相手の痛みを理解したり、感じたりして、その痛みを取り除くために何かしようとする気持ちのことです。
さらに、相手の痛みを取り除こうとする動機付けを持つということで、「シンパシー」や「エンパシー」よりもさらに一歩踏み込んだコンセプトになります。
しかし、「コンパッション」は。日本語でいう「思いやり」とか「人を思いやる力」よりも、少し意味の狭いコンセプトだと言えると思います。
相手の痛み、とか、ネガティブな感情や状態に対して、助けてあげたいと思ったり、どう助けられるかを考えたりするのが、「コンパッション」です。もちろん、それは、私たちが「思いやり」と呼ぶものの一部なわけですが、その一方で、人を思いやるということは、必ずしも相手が痛みを感じている時だけに限定されていないようです。
やる気満々で受験勉強を頑張って夜遅くまで机に向かっている子供に、おにぎりを作ってやる。子供が勉強に疲れや痛みを感じていなくても、子供の状況を考えて、自分にできることをするわけです。その意味において、「思いやり」のおにぎりということができます。
相手が良い状況にいても、その良い状況をさらに良くしてあげようと思うことも「思いやり」の一部なわけです。
こうして考えると、「思いやり」とは、相手の気持ちや状況を共有した上で、その相手のために自分なりにできることはないかと考えることです。
「生き抜く力」の執筆にあたり、「思いやり」というコンセプトを取り上げようと思った時に、編集の方から、英語で訳すとどんな言葉になるかと聞かれました。
だいぶ真剣に探してみたのですが、しっくりくるものがありませんでした。それもそのはず、ここまで見てきたように、「シンパシー」、「エンパシー」、「コンパッション」などの英語のコンセプトは定義が少しずれているわけです。(「Thoughtfulness」というのも考えましたが、どちらかというと「気遣い」とか「気配り」に近いと判断しました。)
そこで少し困ってしまったのですが、その困ったおかげで気付いたのが、「思いやり」というコンセプトは、英語にピッタっと訳せないコンセプトだ、ということでした。そして、考えを進めていくうちに、「思いやり」というコンセプトが武士道や儒教の「慈愛」や「仁」などに基づいて日本の思想や文化の根底を流れてきたものだということもはっきりしてきたわけです。世界に誇れるグローバル・スキル、「思いやり」が、私たち日本人のDNAにより深く刻まれているということではないでしょうか。
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