退屈な時間が大切な理由とは?

哲学

何もすることがなくて、ボーっとする。
勉強中にふと気づいたら、あれこれと勉強以外の途方もないことを考えていた。
わずらわしい会議中に空想にひたる。

何かに集中してエンゲージすることで、仕事や勉強でも結果が出せるのだから、なるべくなら退屈な時間を減らして、注意散漫になることを避けるのがベスト。

こうした考えは、ごく自然な考え方だと思います。

ただどうやら、他の物事にも共通するように、少しバランスをもって考えなくてはいけません。

「退屈」な時間と創造性

というのも、退屈で特にやることのないような時間を持ったり、空想にふけることの良い点がこれまでの研究で様々に示唆されてきたからです。

例えば、子供達の想像力に関する研究で、テレビの普及度の違う地域の子供達を比較したものがあります。(The Impact of television : a natural experiment in three communities Responsibility, 1986.)

テレビの普及が進み、子供たちがより長くテレビをみると想定される地域と、テレビの普及がなく、子供たちがより自由な遊び時間を過ごすことが想定される地域を比較したところ、テレビなし地域の方が子供のクリエイティビティーに関する指標が高かったのです。

この研究からの考察として、より拘束されない時間を過ごした方が、創造的で豊かな思考をする機会を与えられるということがいわれており、他の類似の研究などでも、同様の結論が示されてきました。

テレビなどの娯楽がなく、より自由で「退屈な」環境で時間を過ごす機会が与えられる環境で、創造的に考える力が養われたという仮説です。

習い事の良し悪し

関連したトピックに「子供の習い事」があります。

周りの子供達や家族を見ると、あれもこれもやっている。同じようにやらせなくては、遅れをとってしまう。あれもこれも、それから、あっちもこっちもやらなくては。

そんなプレッシャーが子供達や親御さんたちにのしかかっていたりします。

そんなプレッシャーを感じた時に、一つ振り返ってみるべきは、習い事が多ければ多いほど、子供のメンタル面での健康や家族の関係が悪化してしまう傾向が科学的にも指摘されてきているということです。(‘The helping, the fixtures, the kits, the gear, the gum shields, the food, the snacks, the waiting, the rain, the car rides … ’, 2018)

子供が新しい知識やスキルを身につけたりするよりも、忙しいスケジュールによってストレスを感じ、メンタル面で影響や問題が出てきたり、家族に負担がかかったり、家族内でのコミュニケーションが減ったりすることで、家族の中での不破が生じたりしてしまうということです。

また、子供がいずれ独立して活動していけるように、主体性を養っていくことが期待されますが、決められたスケジュールの中で管理されることによって、そうした機会を逸してしまうことにも繋がりかねません。

何事もバランス。焦ってしまい、逆効果になってはいけません。適度な自由時間を作っておくことが必要ですし、全てを習い事などで埋めていないからといって焦ってはいけません。

空想のいいところ

また、ボーッとしたり、退屈な時間を過ごすことは、子供だけに必要なことではありません。

勉強中や仕事中にボーッとして、あれやこれや取り留めなく考えてしまうのは人間の常。

空想している時間を取ることで、休憩になり、逆に仕事の効率が上がったり、イノベイティブな考えにつながりやすいと示唆する研究も出てきています。

もちろんだからといって、いつも退屈で空想していた方がいいというわけではありません。

しっかりと集中して仕事や勉強をこなしている中で、時にふとボーッとしてしまっている場合でも焦ることはなく、逆に、適度にそうした時間が必要であるということです。

適切な休憩の取り方については、以前、以下のような物も出しているので、興味のある方はご覧ください。(https://diamond.jp/articles/-/264499)

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