【特別対談ブログ(後編)】〜日本の教育の歴史と現状〜
【特別対談ブログ(後編)】慶應義塾大学 佐久間亜紀教授
〜日本の教育の歴史と現状〜
星:前回は、アメリカの教育史の観点から、教職員のジェンダー問題、低賃金問題などについてお話しいただきました。
今回は、日本の状況についてもお聞きしたいのですが、「日本の教員不足」はどのようなことが影響して起きていると考えたらいいのでしょうか。
佐久間:今、日本で先生が足りていないという状況は、この20年間の教育政策の総合的な結果だと思います。
きっかけは財政改革
大きなきっかけの1つは、2001年に法律が変わったことがあります。
それまで日本は世界でも珍しく、先生の数が十分に足りている先進国でした。
なぜかというと、明治時代に、初代文部大臣になった森有礼が、教職が女性化しているアメリカの状況から学んで、善し悪しは別として、女性化が起きないような形で師範学校を作っていたからです。
第二次世界大戦の後も、基本的には男性が先生をしていても恥ずかしいと思われない社会ができていました。戦後のベビーブームで生まれた子ども達が学校に進学するようになり、教員需要が急増したときも、教員の給与を一般の地方公務員よりも少し高くすると定める「人材確保法」などの法律が制定され、教員不足は解消されていたのです。
それが、2000年代になって三位一体の改革が行われ、教育に関してもさまざまな規制が緩和されました。学校の先生の数と待遇を、都道府県や政令指定都市が自分で決められる裁量の幅が大きくされたのです。
それまでは、国が教員給与の半額を出していました。明治時代から、日本では都会と地方の経済格差が大きくて、子どもが受けられる教育の質に差があることが大きな問題になっていました。義務教育の学校を運営するのに必要なお金のほとんどは、先生たちの人件費です。豊かな都会に生まれた子ども達は、高いお給料をもらっている優秀な先生に教えてもらえるけれど、貧しい地域に生まれた子ども達は、学校に行っても先生が足りなくて、大きな学級にすし詰め状態、というような格差を防ぐにはどうしたらよいでしょうか。
そこで、国があらかじめ、必要な先生の数の標準を決めて、その人数を雇うのに必要なお給料の半分を、各都道府県に渡す制度(義務教育費国庫負担制度)を整備したのです。
国としては、「このお金で先生を雇ってね」と言って渡したお金を、地方自治体が勝手に別のことに使ってしまったら困ります。なので、国から渡した財源の使い方には、細かな規制が作られていました。
財政改革で先生の数が減らされた
ところが、2000年代以降、緊縮財政になってこの義務教育費国庫負担制度が改正され、国の負担が3分の1に減らされてしまったのです。子どもが受けられる教育に格差が生じないようにするための様々な規制も緩和されました。例えば、先生のお給料の財源についても「総額裁量制」といって、国が地方に渡したお金の総額を超えない範囲であれば、教員の数や給与を自由に決められるようになったのです。
この規制緩和は、諸刃の剣でした。規制が緩和されたので、都道府県ごとに、独自に35人学級化を進めるとか、算数の時間に少人数指導を取り入れるとか、さまざまな教育改革を行えるようになりました。ただし、税収の総額が増えたわけではありません。
そのため、皮肉にも、規制緩和の結果、教員の人数や、お給料を減らして、教育改革の財源を生み出そうとする自治体が増えてしまったのです。例えば、正規雇用の先生を一人雇うかわりに、待遇の悪い非正規雇用の先生を二人とか三人雇うことで、教員数を増やす改革が進行したのです。正規雇用の先生の数は減らされ、非正規雇用の先生が4月から学級担任を担わせるような体制が作られるようになりました。
しかも、教員の数を増やすために長いこと取り組まれてきた国の政策が、止められてしまったのです。日本では、先生の数は学級の数に基づいて決められる仕組みになっています。(この点はアメリカと大きく異なるところです。)だから、日本で先生の数を増やすためには、少人数学級化を進め、学級の数を増やさなければなりません。
例えば、子どもが120人いるときに、40人学級だと先生は3人しか雇えませんが、30人学級だと4人の先生が必要になります。そこで、日本では標準的な学級規模を小さくすることによって、子ども一人あたりの先生の数を増やす取り組みが、ずっと続けられてきていました。ところが、「少人数学級化してもテスト学力を上げるエビデンスがない」という理由で、少人数学級化がストップされてしまったのです。少人数学級化とテスト学力の関連については、今後もっと研究が発展するとよいと思います。
しかし、いずれにしても、日本の学校教育制度がアメリカと異なる点が無視された議論になっていたため、少人数学級化の効用として教員の労働環境が改善されるという点が、まったく無視されてしまったのです。少人数学級化が止まり、先生の数が増やされず、教師の労働環境が悪化の一途を辿る状況が続いています。
教育改革で教員の仕事が増やされた
もう一つの要因として、教員の仕事の量が急激に増やされたことがあります。
例えば、グローバル化が進む中で、英語教育の必要性が叫ばれ、小学校高学年で英語科が導入されました。また国際競争に勝っていくための学力向上が、至上命題となりました。全国一斉学力テストが始まり、都道府県ごとにテスト結果が順位づけされるようになりました。学校現場には、テストの点数を上げるよう教育委員会からの強い指導が入るようになりました。また学力向上のためにと、授業時間数が大幅に増やされたので、先生達が一日にこなさなければならない授業コマ数が大幅に増えたのです。でも勤務時間は8時間しかありません。授業を準備する時間が減ってしまいました。
なのに、主体的に学ぶ子どもを育てなさいということで、探究学習など、一斉授業方式とは違う授業方法を工夫しなければならなくなりました。成績評価の方法も大きく変更されました。
一方でグローバル化が進むと「日本という国のまとまり」が緩くなるため、日本を大事に思ってくれる人を育ててほしいという声も上がります。道徳が「特別の教科」にされ、道徳の授業の評価をどうするかが大問題になりました。
いじめ問題に対しての対応も一層求められ、学校内でいじめ防止の体制をつくることも要求されました。
さらに、社会の格差や分断が進み、人々の考え方や価値観が多様化する中で、保護者から学校にクレームが来るようになりました。保護者が先生に話をしやすくなったのは、よいことだと私は思うのですが、しかし保護者からの疑問や要求に応えるには、対話をしなくてはいけないので、先生達は多くの時間を割かなければならなくなりました。でも人手は増えないのです。そのため、勤務時間内に子どものいじめの相談にのったり、保護者に連絡をとったりすると、残業をして勤務時間外に授業の準備などをしなければならなくなっていきました。
文部科学省以外の省庁の政策も、学校への期待を大きくしていきました。経済格差が広がり続ける中で「子供の福祉の底」も抜けており、学校を貧困対策の「プラットフォーム」にするというのです。学校の先生たちが、おなかをすかせて勉強どころではない子どもや、青あざをつくってきて親に虐待されているのが疑われる子どものケアを、最前線で担わなければいけない、ということになりました。
教員不足の悪循環
全部、とても大事なことですよね。でも、新規事業がたくさん立ち上げられたのに、そのための人的リソースの投入は全くありませんでした。しかも、これらの増やされた仕事は、効率化すれば短時間で処理できるようになるような類いの職務内容ではありませんでした。
このように、教員数は減らされたのに、仕事が増やされ、先生たちが過労死寸前になるまで長時間労働をしなければ、学校が回らないほど深刻な状況になったにもかかわらず、有効な策が講じられてきませんでした。
長時間労働を解消するためには、対症療法的に、自転車操業でIT化をやれ、効率化もしろとなり、効率化どころか労働時間が延びてしまった。
結果的に、優秀な若者たちが「もうこれは無理だ」となって別の労働環境や待遇のよい仕事を選ぶようになってしまい、教職に集まってこない状況が生まれています。教員が不足して、労働環境が悪化し、それがマスメディアを通して広く知られるようになったので、ますます教職の人気が下がり、教員不足が悪化するという悪循環が生じてしまったのです。
私たち専門家は、2000年代初頭から、こうなる危険性が高いですよ、とずっと問題提起してきましたが、やはり警鐘を鳴らしている段階ではなかなか聞いてもらえませんでした。
いよいよ先生の穴が埋まらなくなり、授業が実施できない、生徒が1ヵ月自習しなくてはならないという事例が出てきて、ようやく「こんなに先生が足りないんだ」と社会が気付き始めたのがこの数年の状況です。この悪循環をなんとか好循環に転換していくために、日本は急いで対策をとる必要があります。
星:なるほど。アメリカの場合は初めから大きな問題があり、その問題が今も残っているという状況に対して、日本は最初のスタートはよかったにもかかわらず、ここ20〜30年くらいに大きな変化が起きて、結局同じようなところに行き着いてしまった。
今の日米の教育の歴史、そこからの現状を学ばせてもらって非常に勉強になりました。佐久間教授、ありがとうございました。
【対談ゲストプロフィール】
慶應義塾大学 佐久間亜紀(さくま・あき)
1968年東京生。早稲田大学教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了(博士(教育学)。 東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター准教授などを経て、現職。 専門は、教育方法学、教師教育論。 日本教育方法学会全国常任理事、日本教師教育学会理事。 教師の力量形成を研究・実践し、各地の学校現場で授業づくりに取り組むとともに、対人支援専門職(看護・介護職など)の人材育成について講演やワークショップを行っている。授業研究会「第三土曜の会」主宰。 著書に『現代日本の教師』(放送大学教育振興会、2015年)など。