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【教育改革実践家/元リクルート社フェロー藤原和博氏との対談ブログ②】日本の教育が今後あるべき姿とは?

対談

前回のブログでは、対談ゲストに教育改革実践家/元リクルート社フェローの藤原和博(ふじはら・かずひろ)さんをお招きし、「日本の教育の強みと弱み」についてお話しいただきました。
前回の記事閲覧はこちらから

今回は、「日本の教育の今後あるべき姿」について伺いたいと思います。

日本で「情報処理力」が低下しているワケ 

星友啓(以下、星):前回の対談でもお話しいただいたように、日本の教育の強みは「生活指導のベースがしっかりしている」「計算力に長けている」「情報処理力が高い」といったことを挙げられていました。

ですが、その中の1つである「計算力」に着目すると、例えば純粋に数学とか算数の能力だけを評価しても、徐々に日本のPISAなどのレベルも下がってきてしまっている現状があります。

※PISAとは:15歳児を対象として、読解力、数学的リテラシー、科学リテラシーの3領域において共通問題により2000年から行われてきた国際調査)

せっかく日本の強みでもある「情報処理力アップ」のための教育を続けているにも関わらず、世界水準から見れば段々と下がってきている要因を、どのように考えられますか?

藤原和博(以下、藤原):1つは「生徒が多様化していること」が挙げられます。勉強に全然ついて来られない子が増え、一方では塾で学ぶ子も増えています。都市部の中学だと、半分くらいの子が塾に通っている現状があります。

ですので、学校では授業についていけない子と、塾で既に勉強済みの子が一つの教室に混在して、生徒間のレベルが乖離しているのに、その教室で「一斉授業」が行われている。

そんな状況では、生徒たちも学校の授業に価値を見出すことはできないでしょう。このように学校教育が地盤沈下していることが、1つの原因として挙げられます。

2つ目は「教員職への人気が下がったことによる人員不足」です。

東京では教員の採用数が20003000人規模で、小学校教員などは応募競争倍率が3倍を切っており、内定辞退も合わせると2倍を切るほどです。
私企業の常識だと7倍を切るとメンバーの質が下がっていきますので、例えば100人を採用するなら700人の応募がなければ十分な質が確保できない。

ですので、実は教員の質がどんどん下がっていっていると言わざるを得ません。

それは教員を目指す学生が悪いわけではなく、構造的に教員職が不人気になっていて、それでもたくさんの募集をすることに起因します。

そのため僕は文科省にも財務省にも、定員に足りないからといって教員を増やそうとするのは愚策、と言い続けているわけです。

星:そのような要因が重なって、計算力のような「情報処理力」が低下してきてしまっている、ということですね。

入試や企業採用でも重視される「情報編集力」

星:前回のお話では、この情報処理力と、正解がないことに対して仮説から納得解を導き出す「情報編集力」のバランスが大事。
そして、藤原さんの教育革命の目標としては、「情報処理力」と「情報編集力」が73の割合にすること、というお話がありましたね。

藤原:はい。今は「情報処理力」と「情報編集力」が91くらいで、「情報処理力」が下がってきている状況なので、逆に「情報編集力」が1から上がって来ればいいんですが、テストの点数のように明確な尺度が「情報編集力」側にはないのが難しいところですね。

ただ、大学入試の現状などを見ると、「情報編集力」が合否の評価指標として、今後さらに重視されると思います。

例えば、試験を受けて大学に入学する学生が、ついに全体の5割を切りました。

つまり半分以上が、附属高校からの入学、指定校推薦、総合型選抜(旧AO入試)など、試験を受けずに大学に入るわけです。

(総合型選抜(旧AO入試)とは:高等学校における成績や小論文、面接などで人物を評価し、入学の可否を判断する選抜制度)

特に、総合型選抜からの入学は、今は1割程度ですが、これが2020年代の間に国公立を中心に3割ぐらいまで上がってくると言われています。

星:やはり、大学に入る人が減って定員割れが進んでいることも、大きく影響していそうですね。

藤原:はい。ですので、高校で何をやっていたか?というレポートや自己アピール、場合によっては中学・高校の56年間で何に没入して、何を探求していたか?・・・など。

そういうことを、きちんとプレゼンできれば、面接で受け入れてもらえるということ。こっちの合格者がさらに増えてくれば、世の中が変わってくると睨んでいます。

日本は、亀の歩みのようなスピード感で、本当になかなか変化をしない国ですが、あるところで閾値を超えると、一気にドカンと変わる側面も持っていますよね。

急激に変化する瞬間が、おそらく2020年代の後半から30年代までに起こると考えています。それが、僕が取り組んでいる「たった1人からの教育革命」の終盤戦であり、その変化が起こることが僕にとっての「勝ち」だと。

星:なるほど。現状ではお受験、中学受験の最中にいらっしゃる方たちに話を伺うと、まだまだ「受験」へ意識が強いですが、まずその方たちに「情報編集力」が入試で重視され始めている。そして、それは急な変化ではなく、少しずつ大学入学のための試験を受ける人の数が減ってきて、すでに半分以下になっている、という実際の数字を知っていただきたいですよね

藤原:親の正直な気持ちとしては、その流れは頭で理解したとしても、今までの受験ではある意味分かりやすかった「偏差値」に変わって、「次は何を指標にすればいいの?」と困惑するかもしれません。

ただ、社会全体に目を向けると、例えばGoogleやマイクロソフトなどの一流企業での採用は、圧倒的に「情報編集力」が重視されています。
なぜなら「情報処理」の方は、これからはAIロボットにさせればいいので、そちらにお金を投資しますよね。

今社会に求められているのは、ヒトとかモノとかコトとかを、それぞれ意外なもの同士で繋ぎ合わせて掛け算で繋げる力、つまり「情報編集力」であることは明らかでしょう。

原点にかえって無駄を削る

星:今までお話を伺ってきたことを踏まえて、今後日本の教育がどのように変わっていくべきなのか、どのような教育改革が必要なのか、といったことついて具体的にお聞かせいただけますか?

藤原:まずは「本業(原点)回帰」をすることが重要だと思います。

つまり、「教育において学校とは何か?」という原点にかえることです。

というのも、教育改革をするに当たって、これもやるべき、あれもやるべきだと議論する場面がよく見られますが、その結果余計なことをやりすぎてしまっている。
だからこそ、改革のために本当に必要なことだけを見極めて、原点に立ち返ることが必要なんです。

実際問題として、今の教師はレッテル付きの教育のせいで負担が多くなり、余計な重責を抱え込む場面が増えています。
例えば、環境省ができれば環境教育、消費者庁ができれば消費者教育、金融庁ができたら金融教育、と領域が増えていき、他にも情報教育、国際理解教育、福祉ボランティア教育、食育など、次々とレッテルが貼られていくことで、教師への期待と責任が過度になり過ぎている。

さらに、いじめが起これば、国会議員と都議会議員と市議会委員の三方から質問をされて、三重にアンケートに答えねばならない。そんな事務仕事にも追われ、さらに疲弊していきます。

このような現状は止めなければいけないし、やらなくていいことは減らすべきでしょう。

実は、企業でも同じような事例があって、例えばスターバックスでは、一気に店舗を拡大し過ぎた影響で、コーヒーのクオリティが下がって、業績が芳しくなくなってしまったことがありました。
そこで、経営者は1回原点に立ち戻って、コーヒーの味から鍛え直した、というエピソードがありますが、今の学校教育の現状と今後あるべき姿に通じるものがありますよね。

スターバックスだけではなく、Appleやユニクロなどでも同様のことが起きていました。

星:さらに身近な例を挙げると、今の日本の教育の状態は、「潰れる前のレストラン」にも例えられそうですね。

なかなか営業がうまくいかない飲食店では、「あれをやるか、これもやるか」とメニューがどんどん増えてしまい、逆にそれによって更に首が締められてしまう。

だから、レストランをしっかりと立て直すためには、一度原点に戻って、やるべきことを絞るのが基本だと。

藤原:非常に分かりやすい例えですね。例えば、蕎麦屋がどうも流行らないから、カレーを出して、カツ丼まで出して、下手するとラーメンまで出して。結局、何をやっているかわからなくなって潰れる、みたいな店が実際ありますよね。

そうではなくて、しっかり立ち戻って、蕎麦の打ち方や出汁のとり方、葱の刻み方、わさびなど薬味へのこだわりなど。

本当に、破綻寸前の飲食店に、今の学校教育は近いと感じます。

だから、まずは学校の役割をもっとシンプルにして、やることを減らしたほうがいい。

例えば、小学校であれば「良い生活習慣と、良い学習習慣を身につける場」に目標を絞って割り切ってしまう、といったことです。

アクティブラーニングを広めるための秘策

星:ありがとうございます。
「原点回帰」の他に、改革していくべきだと考えられていることはございますか?

藤原:あとは、情報編集力を鍛えるために、日本の教育を「アクティブラーニング(生徒参加型)の授業」にしていくことですね。

特に、欧米でのクリティカルシンキング(批判的思考)の授業では普通に取り入れられている、ブレインストーミングやディベートなどを日本でも積極的に取り入れていくべきです。

そのために「授業にスマホなどの端末をどんどん導入すること」を僕は推奨しています。

例えば、僕が実際に奈良県の一条高校で取り組んでいたのは、「スマートスクール(デジタル機器を活用する学校)」を超えた「スーパー・スマート・スクール(SSS)」化で、授業に生徒所有のスマホを徹底的に活用しました。

BYODBring Your Own Device:私的デバイス活用)で、要するに生徒自身のスマホを使って、Wi-Fiに繋ぎっぱなしにしておくんです。

従来のやり方だと、例えば教師が生徒に向けて「わかる人?」と聞いても、成績優秀者の数人のみの手が挙がり、残り大多数は脳が止まったままになっていた。
ですが、スマホを活用することで、生徒全員の意見を集めて一斉表示することで、積極的に議論に参加させることができますし、生徒たちの「自己開示」が非常に活発になります。

星:スマホなどのデジタル機器を通して生徒たちが、生徒同士の繋がり、教師との繋がり、さらに社会との繋がりを広げていけることは、大きな可能性を秘めていると感じますね。

藤原:山梨県と千葉県でも僕が県知事の特別顧問になっていて、ちょうど同様のモデルと作ろうとしています。もう1つ事例をご紹介しますが、僕も協力している都立富士高校の野村公郎元校長による「メガ都立構想」があります。

これは、都立高のどこに入学しても、ほかの学校のあらゆる授業を受けられるようにする、というアイデア。実際にまずは英語から、富士高校に入学した生徒が、都立日比谷高校や西校の先生のオンライン授業も受けられるようにするという構想です。

このような取り組みは、先生たちのプライドもあって、まだまだ受け入れられない部分をどう突き破っていくかが課題ですが、生徒からすればオンライン上に恩師がいたり、都立に入ったら都立全校にいる全教科の先生が自分の味方になる、といった仕組みですから、非常に心強いことだと思います。

変化していく学校と教師。その役割とは?

星:世界中の教育の現状を見ても、メリットクラシー化(超業績主義)や能力主義化していく状況なので、今まで学校という囲いで守られていた先生方は、その壁がなくなって安泰した仕事が段々なくなりつつあります。
つまり、教育の職業自体がギグ化してきて、できる人はどんどん需要が増えるけど、できない人たちは淘汰されてしまう方向にあるということです。

ですが、本当に良い授業があるなら、それを生徒たちが受けられるようになるべきですよね。

藤原:そうですね。教師にとっては少しネガティブな話に聞こえるかもしれませんが、もし知識を魅力的に演出して伝えることが苦手な先生でも、生徒の心の支えになる役割が得意な先生や、ファシリテーションが得意な先生もいます。

教室でも、その教科のその単元の授業が最高に上手い先生の動画をオンラインで流して、教員は、その授業についてこられない子のフォローに回る、というやり方もあるでしょう。

教師が各々の得意分野を活かして力を発揮できるように、うまく役割分担をしていくことが大事ですね。

星:本当その通りだと思います。
特にオンラインでの映像授業だけでは、全てを網羅しきれないので、質問に答えてくれたり、コーチングをしてくれたりするサポート役は必要ですね。

さらに教育の改革が進んでいくと、知識・コンテンツをレクチャーするという役割が先生から離れて、プレゼンテーションの上手いプロを雇って代わりに教えてもらう、ということも起こってきているようです。

そうなると、先生という役割が「サポーターとして」よりフォーカスされるモデルが、今後増えていくと考えられます。

藤原:もう1つ、僕が考える構想としては、生徒を先生側に回してしまう、というものがあります。

先ほど、オンラインでついてこられない生徒をサポートする話をしましたが、逆にオンライン授業を一回受けただけで理解できる子や、塾ですでに習っている子もいます。

そういう子たちは、現在の学校の教室では本当につまらなそうにしているんですが、彼らを先生側に引き入れてしまおう、というわけです。

ビデオだけでは分からない子に、先生とできる子がきちっとフォローに入る。そのように教室の中でダイナミックに教え合い・学び合いが起こったら、教わる側はもちろん、教える側にも良い相乗効果が生まれます。

できる生徒でも、意外と分かった気になっているだけの場合もある。人に教えられるようになって、自分で問題を作るレベルにならないと、本当に理解したとは言えませんので。

星:まさに学習者同士が互いに協力しながら学び合う「ピア・ラーニング」ですね。

従来の学校のイメージは、正しく、必要な知識を知っている人が知らない人に教えるスタイルでした。
ですが、答えのないことを解決する力が求められる今の世の中では、常にそのための新しいやり方や知識を模索していく必要があります。

そこで、最近出てきたのが「知識コモンズ」という考え方ですが、アクティブラーニングなどを通して、教室にいるみんなで協力して解決する力や姿勢を養っていくという藤原さんの取り組みは、まさにそれを体現されていますね。

人が集まることでしか得られない学び

星:さらに視点を展開して、今後、先生の役割だけでなく、学校自体の存在意義が社会的にどう残っていくか、という点で考えると、やはり最終的には人が集まらないとできないことが残ってくるので、生徒同士の教え合いや、一緒に学べる機会など、今までとは違った形のコミュニケーションが導入されていくかと思います。

藤原さんの教育改革の1つには、地域社会と連携した「土曜寺子屋(ドテラ)」というものがありますよね。

藤原:はい。ドテラは土曜日の午前中に3コマくらい行う補修授業で、お年寄りの方や教師になりたい大学生を地域から集めてきて、放っておくと宿題をやってこないような子たちもサポートする活動です。
わからなくなったときに、すぐに聞けるお兄さんやお姉さんがそばで教えてくれる、そんなコミュニティです。

この仕組みは、僕が以前校長を勤めた和田中学校で実際に取り入れたもので、これが一つのモデルになって、今では「地域学校協働本部」という名称で、全国にある2万校の小学校と1万校の中学校、合計3万校のうち、約7割に普及しています。

星:本当に素晴らしい取り組みですね。

このような地域の人たちと触れ合える場は、単に知識を得るだけではなくて、感情の発達や社会性を養っていくことも含めた、効果的な学びが期待できます。

藤原さんが実践されている教育改革は、学校にそのような社会的意義を新たに付与していくような側面も含まれた仕組みだと感じますね。

藤原:まさにその通りだと思います。これから学校では、人が集まらなければできないことを徹底的にやるべきですね。

ベースとなる知識は、オンラインでもある程度得られますが、思考力や判断力や表現力といったものは、異なる意見や考えをもった人が集まって議論したり、ディベートしたり、ブレストしたりすることでしか育まれません。

あとは、体育や音楽・美術のような実技教科、理科の解剖実験といった実験系も、人が集まるからこそ、良い学びの機会になる例かと思います。

星:人によっては大人数に背中を押されることで行動を起こすができて、学ぶきっかけになることもありますよね。

藤原:はい、すごく稚拙な例かもしれませんが、例えば体育のプール授業で、男女が一緒に授業を受けていると、本当は怖いけれど、やっぱり女子が見ている手前、それに後押しされて男子が思い切って飛び込むことができる、とか。

このように人が集まっているからこそできる「参加型」の領域は、今後の学校の役割や意義として、どんどん重視されていくと思っています。

星:これから日本の教育がどのように変化していくか、そして、どうあるべきかについてお話を伺ってきましたが、具体的に何を進めていけば良いのか考えたとき、藤原さんの構想や実際に行われている改革への取り組みが、まさにそれに当たると感じます。

また同時に、今の教育界を変革しようと、活動を続けられる藤原さんの熱い信念にも強く胸を打たれました。
この度は貴重なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございます。

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