なぜ、天才(ギフテッド)の才能は潰されてしまうのか?

教育

先週アメリカ、ニューメキシコ州のアーバカーキーで催された、アメリカのギフテッド教育協会の定例学会に行ってきました。

ギフテッドの子供達、つまり、若き天才達のため教育について熱い議論を交わしてきました。(ギフテッド教育がどういうものであるかということを以前のブログポストに書いておきましたので、こちらをご参照ください。

様々な発表が行われていましたが、私自身も、スタンフォード・オンライン高校の生徒サポート部の部長と、ギフテッドの生徒のためのソーシャル・エモーショナルラーニング(感情や社会性の学習)のあり方について発表してきました。

天才に関するよくある2つの間違えた考え方

学会初日の基調講演で、ギフテッド教育協会の現理事会長のJonathan Pluckerが、天才に関する2つの間違った考え方の話をしてくれました。

Jonathanは、アメリカにあるJohns Hopkins大学の教育学の教授をしています。

私が、昨年Johns Hopkins大学のタレント児童センター(Center for Gifted Youth, CTY)のレビューをした時に知り合ったので、今回の彼の基調講演を楽しみにしていました。

その基調講演の中で、Jonathanは、彼が考える世の中にはびこる天才に関する2つの間違えについて言及しました。ちょっと面白かったので、ご紹介します。

まず1つ目の間違えは、天才は放っておいても天才になる、ということです。

これまでの様々な研究結果から分かってきたことは、才能がある子供でも、適切なサポートを受けなければ、その才能は開花しないということです。

つまり、天才は放っておいたら、天才にはなれないのです。天才には天才用の教育が必要で、才能は放っておいたら開花しないというわけです。

これは学問以外の分野では当たり前のことかもしれませんね。

子供の頃から足が抜群に早かったり、投げる球が150km/hの高校生ピッチャーなど、明らかにポテンシャルの高いスポーツ選手を自主練習させておくだけでは、オリンピックに出たり、一流のプロの選手になることは期待できません。

彼らのポテンシャルに見合った環境で、見合った指導者のもとで、さらなるトレーニングができて初めて、オリンピック選手や一流のプロ野球選手に成長していくのです。

学習や学問に関してもスポーツの場合と同じで、才能に見合った、適切な学習環境とサポートが必要になります。

反対に、そうした学習環境やサポートがなければ、天才も才能が伸びじまいに終わってしまいます。

2つ目の天才に関する間違いは、このことに関係しています。

子供の成績が現在悪いということは、その子供に才能がないということである。これが2つ目の間違いです。

しかし、ここまでにもお話ししてきたように、天才でも適切なサポートを受けてこなかった場合には、才能が伸ばされないまま成長してきてしまいます。

そのため、現在、成績が良くないとしても、それは伸ばされるべき才能が伸ばされてこなかっただけなのかもしれないのです。

つまり、成績が芳しくないということは、必ずしも、その生徒の才能がないということを意味しないかもしれません。

そうではなく、その子供には高い才能があったにも関わらず、これまでの学習サポートが適切ではなかったということを意味しているのかもしれないのです。

潰されてきた天才たちの才能

この天才に関する2つの間違いは、アメリカやその他の先進国でギフテッド教育が発展してきたことの背景にある考え方につながっています。

日本の公教育を例にとって考えみても良いかもしれません。

日本の教育の強みとしてイメージされることの一つに、質が高い均質な公教育が全国各地で受けられるということが挙げられるかもしれません。

日本の公教育の格差を実際に調べてみると、そのイメージが現実に即しているかいないかは議論の余地があるようですが、

しかしそうしたイメージの裏側に一つの大きな問題があります。

それは、日本の公教育において、子供達の選択肢が極端に少なくなってしまっている、ということです。

日本の公教育は質が高く均質であるかどうかはともかくも、選択肢が少ないということにおいて、日本の公教育は極端に「横並び」であると言えます。

そのため日本の公教育が天才たちの多様なニーズをサポートしきれてこなかったのではないかという問いを立てることができます。

もちろん、日本の公教育の方向性にあった才能はサポートされて開花していくこともできます。

そうした天才や有能な人材がこれまでの日本社会の発展の一端を担ってきました。

受験戦争に勝利し、有名大学に入学し、日本の基幹企業から国を支えていく。日本の公教育はそうした人材の育成に成功してきました。

しかし、子供達の才能はより多様で、日本の公教育の枠組みや方向性にあっていないような天才たちが多くいることは、これまでのギフテッド教育の研究成果から見て、間違いのないところです。

そうした子供達は日本の教育の選択肢が少ない中で、咲かせることができるはずの才能の蕾を花開かせていくことができないのです。

それどころか、極度に横並びの公教育によって、彼らの才能の蕾が摘み取られてしまうことだって大いにありうるのです。

特に才能のある子供達は、成長の早い段階から柔軟に考えたり、物事の枠組みから考えることができるようになります。

そうしたギフテッドの子供達の突出した発言や行動が、横並びの公教育の現場では排除されてしまいがちです。

そのため、ギフテッドの子供達は積極的な学習をストップしてしまい、ときに成績が極端に悪くなってしまったりもします。

もしくは、横並びの教育に合わせることを学び、自分の本来持っているポテンシャルを捨てて生きていかなければならないのです。

こうした問題が、欧米各国のギフテッド教育において、長い間議論されてきました。

子供の才能をいかに早い段階から見出して、適切な学習環境を提供していくか。

そうした国々では、ギフテッド教育の発展とともに、ギフテッドの子供達に必要な教育プログラムが公立、私立を問わず様々な形で導入されてきました。

日本においても、これまで、公教育で伸ばしていけなかったような天才たちの才能を伸ばしていけるような特別プログラムや選択肢の幅を広げていくことは、さらに求められていくことだと思います。

これまで潰されてきた天才たちの才能を発掘して、伸ばしていくことは、日本の社会の重要な課題の一つなのではないでしょうか。

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