【特別連載|私の学びの遍歴】第四回 大学時代編

特別連載

「特別企画(全9回)」として、連載中の私の学びの遍歴をお話しさせていただきます。

第一回(小中学生時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2332

第二回(高校受験時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2348

第三回(高校時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2367

今回は「第四回」として、私の大学受験・大学時代にスポットライトを当てたいと思います。

大学受験準備はわりとゆったりと始めました。

高校1年、2年の大部分は、高校生活をエンジョイしていました。高校3年の初めくらいから、本格的に予備校に通いだして、再度受験を意識するようになりました。

小さい頃から意識していた「東京大学進学」というアイディアも引き続き胸中にあり、その頃になって、再度明確な目標として焼きなおされていきました。

高校受験の時同様、予備校に通いだすと程なく、受験勉強と学校の勉強の乖離の中で過ごしていくことになりました。学校外では受験勉強に勤しみ、学校では居眠り、もしくは、深い睡眠をとって、放課後の受験勉強に備える。

クラスの始めから最後まで机に覆いかぶさって寝ているというような毎日でした。席替えで、教壇の目の前の席になった時も、堂々と睡眠確保に勤しんでいました。

何回か先生に叱られたこともありましたが、しつこく続けるうちに先生も忍耐を切らしたのか、そのままほって置かれるようになりました。時には背丈の似た他の生徒と着ているものを交換し、クラスに身代わりとなって、「居眠り」をしてもらっている間に、受験勉強をしていたこともありました。

5人しか生徒のいない物理の授業でも、全く問題なく入れ替わり居眠り作戦でやり抜けることができました。おそらく先生方も薄々気づいていたとは思いますが、寛大なサポートに甘えて受験勉強に勤しんでいました。

また、友人たちとの距離も広がっていきました。附属高校ではないものの、ICU高校から4割程度の生徒が書類推薦でICUの大学に進学します。

また、早慶や他有名私立大学は、外国語のみか、それを含めたごく少数の科目での大学受験が可能だったので、帰国生の多くの生徒は英語や他言語での優位を存分に利して受験に取り組んでいました。

そういう事情で、ICU高校の中ではあまり受験校的な空気感はありませんでした。ごく少数の生徒が国立受験などで本格的な受験勉強に没頭しており、だいぶ学校の中では浮いた存在になっていたと思います。

私自身も、それまでつるんでいた「クールキッズ」のコミュニティーからは少しづつ離れていき、さみしい思いをすることもありました。高校を卒業するまでには学校のコミュニティーからは大分離れていたと思います。高校1年、2年の時の状況とは大分違っていました。

1年目の受験では、目標の東京大学理科I類に合格することが叶いませんでした。滑り止めで受けた早慶各理系学部には合格したものの、東大入学という目標を諦めることができず、浪人することを早々と決めました。

当時はすんなりと決断できましたが、今になって振り返ってみると、よく浪人を決断したなと思います。

親の負担もあまり考えず、国立に行けば学費が安いからなどと自分を言い聞かせていました。また、東大入学が果たせなかったものの、早慶を蹴ることによって、祖父が東大云々と言った自分の「知的ヘリテッジ」を証明しようとしていたのかもしれません。

予備校時代は非常に楽しく過ごしました。高校3年の時に頑張った分、もう一度受験勉強をやり直すのは割とスムーズで、現役時代と違い模試などでの点数が非常に高く、予備校内で何度も表彰を受けました。

受験勉強もしっかりとやってはいましたが、緩急をつけることができ、飲み会や合コン、彼女との付き合いなど、浪人生活をエンジョイしていたと言っていいと思います。時にはやりすぎな部分もあったと思います。

例えば、東大受験の前日による遅くまで出歩き、家に帰ったのが深夜すぎという事件が起きました。そんな時でも、両親はうるさいことを言わず、自らが決めたやり方だから心配はないという様な距離の取り方で、暖かい放任主義を取っていてくれました。

より責任感が増し、余計な家族内でのストレスが少ないことで、良い結果につながったのではないかと思っています。

浪人1年後、「東京大学理科I類」にめでたく合格しました。前期の試験でセンター試験が予定した点に少々届かず、また、本試験の幾つかの科目でも思う様にいかなかったので、試験後合格発表までの期間は生きた心地がしませんでした。

合格発表日当日はもちろん歓喜にあふれ、調子に乗って関西のテレビ局のバラエティー番組の取材企画に応じてしまい、帰宅するのが非常に遅れてしまいました。

発表は午後1時ごろ、取材企画が用意したアメ車のオープンカーで旗印を持って凱旋帰宅するのが夜8時すぎ。そんなわけで、親に正式に報告するのが非常に遅れてしまいました。なんでもいいから、大げさに祝いたかったのだと思います。

大学に入学して、 一人暮らしを始めました。最初は全面的に親の援助を受けて、ワンルームのアパートを東大駒場キャンパスの近くに借りました。両親の放任主義のもてあそび、実家暮らしにもさらに輪をかけて自由人の生活を貪りました。

それでも、初めのうちは、学業、学生生活、遊びのバランスを取ろうと意識はしていました。第一学期は授業も大方出席してクラスメイトとも仲が良く、試験対策プリント係の大役を預かり、前年度の試験と回答を集めて、そのコピーをクラスメイトに提供していました。

また、体育会系のラグビー部に所属し、毎日練習に明け暮れていました。合コンや、宴会などにも活発に参加していました。

しかし、自由度が高い生活と、長期的な目的意識の欠如が相まって、大学入学後のスタートダッシュもそう長くは続きませんでした。出席せずとも、クラスをパスできるどころか成績も良好だったので、クラスをスキップすることを自己正当化するのは難しくありませんでした。

また、部活動の方では、ちょっとした怪我を理由に、練習を別メニューでこなすようになり、部を離れていくまでにそう長い時間はかかりませんでした。合コンや宴会はどこにいっても常にあります。親のすねを存分にかじりながら、ネットワーキングとこじつけて、遊び呆ける様になりました。

当時、東京大学では一、二年生の教養学部での 成績の平均に基づいて、3、4年の専門分野を決定することができるシステムになっていました。私の平均点は当時理系の人気分野であった天文や建築等々の学部に行けるくらいは揃っていたのですが、理系分野は累積的で、テストの時に着き焼刃で点数が取れても、研究や専門領域を学んでいくためのスキルや知識は身についていなかったのは明らかでした。

そうした理解と、思春期の文学かぶれが相まって、文学部に転入してはどうだろうかと考える様になりました。理科I類から文学部への転入は、ありえたにしても、そう多くの学生が選んでいた道ではありませんでした。

そのこと自体も、理系分野からドロップアウトしつつある自分を正当化するのに好都合だったのかもしれません。俺は誰もやろうとしていないことをやろうとしている。文学が好きだから。とっても赤裸々ですが、そんな風に考えていたような気がします。

文学部に転入しても自由な生活ぶりはさらにとどまることを知らず、学業からどんどんと離れて行きました。当時はギャンブルにはまり、好きだった料理をいかしてキッチンスタッフのバイトを転々としていました。

ディナー時間にバイトをすませると、直接新台入れ替えのあるスロットやパチンコ店に向かい、 大学の友人のギャンブルグループと出玉のよい新台に座るために徹夜で座り込んだものです。

朝になって開店後、昼ごろになって台の良し悪しが大体わかってから、友人グループと分担して良い台だけ打ち続け勝ち分を折半するという方法をとっていました。

東大生の統計分析能力もあったとかなかったとか、結構な勝ち分を蓄積していきました。そういった具合に、バイトとパチンコ店を行き来していたので、学校に行くことはかなり少なく、バイトの仲間からは、やすみしらずの鉄人と揶揄されていました。

この頃には、友人グループも元々の理科I類のクラスメートの数名に限られ、文学部では孤立し、授業に出ても発言することもままならないという様な状況で、精神的にもかなりまずい状態に陥っていたかもしれません。

こうした受験前後の経験を回顧しながら、幾つかコメントしてみたいと思います。

まず、ここまでも論じてきたように日本の社会に受験は浸透しきっており、全ての学生が何らかの形で受験と付き合っていかなければならないと言っていいほどです。

たとえ、推薦入学などで入学試験を受けなかったり、進学をしないことを決断して、受験を回避することに成功しても、その後の人生の節々でステレオタイプや学歴の一部としてつきまとってきます。

受験戦争に直接向き合っていくことを決断して、成績が良く、模試でも高得点、さらに志望校に入学など思うような戦果を得ている生徒もいます。いわば、受験と生徒の相性が良く、受験の方がその生徒を愛している様な場合です。

その一方で、受験があまり味方せず、成績が芳しくなく、模試の判定もダメ、しかも志望校に落ちるなど、受験と学生の相性が悪いということもしばしばあります。受験に見放されてしまう場合です。

このように受験は誰もが何らかの形で付き合っていくことを強要されている競争ゲームです。しかし、そのゲームでの優劣で、自分の価値や尊厳が全体的に決定されるものではないということを、生徒たちは強く認識しておく必要があります。

受験に愛されても、その愛に溺れず、受験に依存しない自分の価値や尊厳がどこにあるかということを真摯に問い続けていかなければなりません。

受験戦争に勝利しても、自分自身がどこに向かうべきなのかを定められなければ、私が陥った様な空虚な時間が待ち受けています。受験で目標通りにいかない場合でも、それは生徒の人格や才能を決定づけるものではありません。

受験はごく特殊な環境で行われる、特殊な競争のゲームであって、それ以上のものではありません。

自分の価値や尊厳を信じて受験の結果に惑わされないことが大切です。受験以外で自分自身の価値や尊厳が見いだせていない場合には、自分自身を改めて見つめ直していくことを始めるべきです。

受験という競争ゲームは万人に合うようにできてはいません。合う人もいれば合わない人もいるようにデザインされていて、受験に合ったか合わなかったで、その人たちの本質が総合的に判断されるわけではありません。

受験は利用できれば利用するもので、受験に弄ばれてはいけません。受験に愛されても、こちらがその愛に浸りきってはいけないのです。受験以外で自分の愛するものを見つけなければなりません。

その上で、受験を利用して、自分の目標や価値を実現できればそれでよし。それが叶わなくても、自分の目標や価値を調整したり、違うやり形でアプローチすることはいくらでもできます。

常に受験外の視線を持って、受験を弄び、弄ばれないという精神を持つことが大切だと思います。

特に昨今の社会は一昔前の日本から大きく変容してきました。受験は根強い社会構造の一部でありつつも、それ以外の道を通って、自己実現して行ける機会の選択肢が増えていく傾向にあります。

生徒やその家族が想像しているほど、受験における目標とその後のキャリアの目標は強く相関していないのです。

東大に落ちても、立派な官僚になる人たちや、慶応にいかなくても、スタートアップを立ち上げて成功させてきた人たちは無数に存在します。生徒もその周辺の支援者達も、 受験に比べてより利用しやすい、もしくは、自分の価値にあった道があるならば、その道を選択することを考えてみても良いと思います。

もしくは、受験戦争の道を選ぶ場合でも、それを盲目的に選ぶのではなくて、自分の価値や目標を達成するための他に可能な手段を考えて、それらを評価した上で、受験戦争に飛び込むことが最適であるかを判断するのが適切だともいます。

また、ここで目標や価値と言っているものは受験や、それ以外の道筋を肯定するために後付けする様なものであってはいけません。東大に入ることを決めてから、東大卒の官僚が多いよいうことに着目して、官僚になることを目標に据える。

それから、官僚はお国のために、云々と言った具合に、官僚になる目標を正当化する。そうした上で、元に戻って、東大に入ると言う目標を正当化する。

これでは、自分の人生の目標云々と表向きに求められるようなことが言えたとしても、盲目的に受験の道を選んでいるのと一緒です。結局、東大に入ると言う受験での合格を目標が先で、そこからキャリアの目標が立てられて、最後に東大に入ることが正当化されているからです。

確かに初めのきっかけはなんであれ、受験に依存しない形で、最終的に目標や価値を内面化していくことができれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。

どんな形にせよ、自分の進路と目標、価値を常に批判的に見つめて探求し続けていく姿勢が大切です。受験に愛されても、受験を愛さず、弄ぶ。本当に愛するものを見つけて、そのために利用する受験にしていくのです。

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