【特別連載|私の学びの遍歴】第六回 アメリカ大学院生時代編
先日よりスタートした特別企画(全9回)「私の学びの遍歴」ですが、おかげさまで大変好評いただいています。いつもお読みの皆様、ありがとうございます。
今回は「第六回」の更新になります。
第一回(小中学生時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2332
第二回(高校受験時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2348
第三回(高校時代編)の記事はこちらから
http://tomohirohoshi.com/?p=2367
第四回(大学時代編)の記事はこちら
http://tomohirohoshi.com/?p=2373
第五回(大学時代編)の記事はこちら
http://tomohirohoshi.com/?p=2390
テキサスA&M大学は大都市ヒューストンから2時間ほどのところにあるカレッジタウンにありました。
生まれ育った、東京、東京郊外からはガラッと変わって、「ど」がつくほどの田舎でした。まさにカレッジタウンといった感じで、大学関連事業を主たる地域産業として町中が大学一色でした。
私は車が運転できなかったのですが、一番近くのスーパーまで自転車で30分ほどかかりました。大学のキャンパスは白人だらけで、ちらほらとアジア人を含めた有色人種ごくたまに見かける程度でした。
また、テキサスA&M大学はアメリカ軍のリーダー養成プログラムがあり、軍服を着た学生がキャンパスを闊歩していました。少し込み合った、大学の運営するシャトルバスの中では白人のジェントルマンはレディーに席を譲りました。
大学キャンパスを出ると、私自身アジア人に対する差別的な罵声を浴びせられたり、自転車走行中に通りがかりの車の中から飲みさしのビール瓶を投げつけられたりしたことさえありました。
私はそれまで多様性豊かなアメリカの都市部しか見たことがなく、そうした風景を通してアメリカをイメージしていました。
しかし、そういった都市部の雰囲気がむしろ例外的なアメリカの風景であるということは、実際に都市部以外のアメリカを訪れてみて初めて体感することができました。それなりのカルチャーショックでした。
ただ、住めば都といった具合に、あまり悩んだりつらい思いをしたという記憶はありません。アメリカのアメリカらしいところに勇敢にも飛び込んできて、人生を変えようとしている。
そんな満足感に溢れていたのかもしれません。学業や新しい生活への順応等々忙しく、くよくよ考えている暇もなかったのだと思います。
東京とは違い、友人もなく気が散る様な遊びの場所もほぼなかったので、学業に没頭するのに非常に適していました。また、他のアメリカ都市部とは違い、日本人留学生がほとんどいませんでした。
そのため、仲間を求めて日本人のサークルに所属したが最後、ほとんど日本人としかしゃべらず仕舞いというような古典的な留学問題に陥らずにすみました。大学時代の自由すぎる生活態度を改めたかった私にとっては、カレッジステーションが非常に合っていたような気がします。
さて、 ICU高校でグローバル感覚を養ったり、英語のイマージョンを経てきてはいましたが、やはり、私の英語力はアメリカの大学院の環境でいきなり通用する様なレベルではありませんでした。
大学院での授業は専門的で、完全に理解したり、ディスカッションに活発に参加することは、なかなかできませんでした。なおかつ分野が哲学ですから、抽象度も高くアメリカに渡り最初の数年は非常に苦労しました。
また、日常会話で使う英語にも苦労しました。アメリカでの滞在を経ていくうちに、日常英語より、学問英語の方が、むしろ簡単だということを強く実感するほどでした。
確かに、難しい専門単語や、抽象的な概念などをマスターするには、それなりの努力をしていかなければなりません。しかし一方で、複雑な概念や現象をいかに明確に考え、伝えるかというのが、学問の本質の一部であるはずで、自分の専門として注力する中で、学問の英語がある意味において分かりやすく考えやすいものに感じるというのは当たり前のことなのかもしれません。
一方で、留学をしているころ、一時帰国して久々に会う家族や友達に、「日常会話ぐらいは問題なくできる様になったか?」などと質問されることがよくありました。質問の意図はわかる気もするのですが、私の反応は常に、「日常会話は本当に難しい。専門英語よりも格段に難しい。」というものでした。気のない質問に、ムッとしていた部分もあったと思いますが、確かに、正直な実感でもありました。
後々考えてみると、そう感じていたことにもそれなりの根拠があるのではないかと思います。まず、日常会話が日常会話として機能するためには、言葉が非常にシンプルでなくてはいけません。
そのシンプルな会話を支えるのは文脈です。その文脈は文化的な理解や、コミュニティーの中での共通意識によって支えられています。大きく異なる文化、コミュニティーに移り住み、言外に前提された文脈を読み取るのは、それが言葉として直接表現されることが少ない日常会話において、より難しいことになります。
また、日常会話では、TV、映画の女優俳優、観光地 の名前、などなど様々な固有名詞が使われます。会話を理解するためにはそうしたものもある程度理解していないといけません。
また、日常会話が難しい背景には日本の英語教育の特色にも理由があると考えることもできます。日常で身の回りにあるものを英語で表現しようとしてみてください。
トイレの便器、車のクラクション、ズキズキする痛み、コクのある味。日本の英語教育では、小難しい言い回しや学問的な語彙が頻繁に現れる一方で、こうした身近で日常よく使う表現が十分には扱われていません。
良い悪いの議論ではなくて、日本の英語教育の中で、日常会話を円滑にこなすということは最も高いプライオリティーではないという背景がここにはあるとみてとることもできます。
ここで、日本からの留学生や研究者に留学相談をされる時に、私がよく強調する点を 一つご紹介しようかと思います。英語圏のみならず英語がそれなりに使用されている環境にいて、英語ができないということは不便なことです。聞きたいことが聞けない。言いたいことが伝えられない。
思う様に自分の考え方を書き記すことができない。さらには、おかしなことを言っている馬鹿者だと思われているかもしれない。いろいろな形で不便を感じたり、不都合に直面することがあります。私自身、何年もそうした不便、不都合と向き合ってきました。
しかし、英語ができないならできないなりの利点も多く存在するということを忘れてはいけないと思います。見た目だけでなく、最初のひと言ふた言で、自分の母国語が英語でないことは、簡単に理解してもらうことができます。
それがわかると、多くの場合で必要以上に親切に対応してもらえます。
私自身、他の方法があるときでも、そうした人の親切をみこして行動するということもありました。
大学院の授業などでも、なんとかディスカッションに食い込めば、他の生徒たちよりもゆっくりと注意して聞いてもらうことができます。また、何かの質問や意見に即答しかねる様な場合でも、不発言の免罪符をいつでも使うことができます。本当はクリティカルな間違いをしている場合でも、自分の能力全般の低さではなく、言語能力の低さに原因を帰属してもらうことだってあります。
自分の無知を言語のせいにできるというのは、まんざら使い勝手が悪いものではありません。
さらに、ある程度英語が上達し皮肉など交えて話すことができる様になったときでも、こちらが皮肉をあえて言ったとしても、相手が皮肉として受け止めるのを控えたりすることがあります。
英語が上手くないので、意図せず皮肉になってしまっているのだろうと言う推測をしてくれるのです。自分は皮肉を言ってやったというある程度の優越感に浸りながらも、相手の怒りを買うことがない。そんな風に可愛らしくストレス解消したりすることだってできます。
何かができないことは、常に不利益なことではありません。できないことを意識することは、自分を改善する機会を意識することです。
また、できないことから利することだって、自分の気の持ち様を上手く定めれば、できることもあるかもしれません。
ことに英語学習、外国語学習を思春期以降に本格的に始めた場合、どんなに努力しても、ネイティブの英語との違いを埋めきることはできません。だからと言って、英語圏での生活や人生全体において、より不便で不都合であるということでは、必ずしもないと思います。
必要な語学力を習得するのは重要ですが、自分の語学力に合わせた、都合不都合、便不便のミックスがあります。
どの様な不便があって、どの様な便があるか、ということを見極わめて、自分の語学力を見つめるのも時には役に立つかもしれません。
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