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【「教える」ことの危険性】子供の学びをサポートする時に考えるべきこと

教育

以前このブログで、「知ることの危険」についてお話ししました。

「知る」ことの危険性と『哲学』の重要性

私はスタンフォードのオンライン高校で校長をしています。おかげさまで、毎日刺激的でワクワクしながら仕事をさせていただいていますが、常にストレスを感じてしまうことが一つだけあります。それは、毎年の卒業式での校長のスピーチです。 …

ご好評いただいたので、今回は、教えることも同様な危険性をはらんでいるということをお伝えしていきたいと思います。

まず第一に、特定の教え方や教材が、子供の学びの欲求を潰してしまうという危険性があります。

毎日毎日長時間の学習を強制したり、今の子供のレベルに合わない課題を無理やりやらせるなどすると、子供の生まれ持った学びへの自然な欲求が、学びへの嫌悪に変わってしまいます。

教科書や授業は、ある一定のレベルや枠組みを設定しなければなりません。

しかし、それぞれの子供のその時々の能力や進度、動機付けは非常に多様です。

そのため、横並びに設定された教材やカリキュラム、教育方針の前提とする学習進度や目標が、子供自身の能力や進度、動機付けと不一致になってしまうことは自然にありうることです。

そうした不一致をきっかけとして、子供の学びへの欲求が削がれてしまったり、それぞれの子供にあった学びの仕方が妨げられてしまったりしかねません。

学習への動機や欲求を、嫌悪感に変えるのは非常に簡単です。

それに比べて、それを元に戻すことははるかに困難だということが、これまでの教育学や心理学の研究でも度々指摘されてきました。

一度何かを嫌いになってしまうと、それを再び好きにするのは難しいのです。

まずはこの点を再確認して、子供の能力、進度、動機付けなどに最大限の気をくばりながら、学習条件を最適化していくという意識を張り巡らさなくてはいけません。

教えることで、可能性を制限してしまう

さらに、教え方と子供の学びの欲求の不一致の危険性よりも、さらに根底的な危険性が教えることには潜んでいます。

例えば、教え方が子供の欲求と一致して、子供は学びを得て、やる気を潰されるどころか、さらに学習への意欲があがったとしましょう。

そんな幸運な状況においてさえ、教えることの危険性がまた違った形で潜んでいるのです。

まず、何かを教える時には、なんらかの基本となる視点を使わなければなりません。

例えば、簡単な四則演算を教える場合、お金や、ものの個数、分量などといった、特定の題材を、利子や税率、数え方、測定方法など、何らかの例をつかって演算をわかりやすく説明するのは自然な教え方です。

科学の基礎を教える時にも、摩擦を無視したり、純粋な物質を想定したり、比較的小さな要因を省いたりなどして、単純化されたモデルから始めて、法則や公式が教えられます。

歴史、文学などの人文学の分野では最も顕著かもしれませんが、同じ事実でも違う視点を取ることで全く違ったことのように見えてくるような場合でも、必ず最初は何らかの特定の視点から教えていかなければなりません。

例えば、コロンブスのアメリカ大陸発見という考え方が、いかにヨーロッパからの視点に染まったもので、アメリカ大陸の原住民からの視点を欠いているかという指摘はもはや月並みです。

お金の数え方以外のやり方で教えたり、摩擦の影響を考えたり、アメリカのネイティブインディアンの視点から歴史を見たりするなど、様々に異なる視点が可能であるにもかかわらず、ある一定の考え方や視点に立たなければ、最初の学びを始めることができません。

その意味において、教えるという行為は、ものの見方や考え方を、教える側の視点などから制限してしまうという本質を持っています。

ある心理学の実験で、こどもにおもちゃの使い方を教えて遊ばせる場合と、教えないで遊ばせる場合を観察、比較する趣旨のものがありました。

4つの違う仕掛けが施されたおもちゃを用意して、2つの仕掛けの遊び方を教えた場合と、何も教えない場合と、幼児達がどのようにおもちゃを遊ぶのかということを観察するというものです。

結果としては、2つの仕掛けを学んだ子供達はその2つだけで遊びがちで、何も教えられない子供達はいずれ4つ全ての仕掛けを発見し、遊び始めました。

この実験は、教えることが、子供の世界観や今後の学びに対する態度を大きく制限し、方向付けてしまう、ということの明快な例になっています。

教えることは子供の能力や才能を伸ばすことだとして考えられることがよくありますが、その反面、子供の能力や才能を制限したり、さらには、つぶしてしまいかねない側面もあることを、私たちは注意深く認識する必要があります。

教える側の限界

この点を理解した上で問わなければならないのが、教える教え方やそれに前提されたものの見方が、子供にとって適切であるかということを、教える側である私たちが判断できるのかどうかということです。

私の視点が、子供のものの見方や考え方を制限するのに値するものなのか。他のやり方に比べてより効果的なものなのか。

今後同様の題材や主張に触れていく子供にとって、より発展した考えや、創造的な考えの妨げにならないか。

そうしたことが判断できるほど、教えているわたし自身が、子供の学んでいる題材を理解しているのか。

これらの問いにイエスと堂々と答えられるか。どうしても疑念が残ってくるのではないでしょうか。

教えることは、新しい知識やスキルを獲得することをサポートし、考え方やものの見方を広げます。

しかし、これまで論じてきた様に、その一方で、考え方やものの見方を制限する危険性を本質的に孕んでいます。

私たちは、そのことを強く意識しなくてはなりません。

裏を返せば、他のものの考え方や、他の教え方、他の視点が常にあるということを常に認識しなければなりません。

子供が違った考えを持っているときに、頭ごなしに否定してはいけません。あなたの教え方の視点と違った視点を提示しているのかもしれません。

それから、自分の教え方に執着せずに、常に他のやり方や考え方があるということを伝えたり、例示したりすることが大切です。

子供の学び方や考え方を尊重し、それらを強引に制限することを意識的に避けて、多角的な視点のとり方を奨励していくことが肝心です。

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